1960年代後半、若干19歳で「この広い野原いっぱい」を歌い上げ、鮮烈なデビューを果たした森山良子さん。
その後にレコード大賞を受賞するなど、音楽の世界で存在感を放ち続けています。さらには、テレビドラマで俳優としても活躍するなど、幅広い領域で活動されています。
そんな森山良子さんですが、プライベートでは2度の離婚を経験しています。
また、彼女の家系には音楽にゆかりのある著名人も多く、その華やかな顔ぶれに注目が集まっているようです。
この記事では、森山良子さんの家族、夫、そして2度にわたる結婚生活について詳しくお伝えします。
目次
森山良子の最初の夫は、静岡県浜松市の一般男性
森山良子さんが初めて結婚を決意したのは、彼女がまだ若く、音楽の世界で輝き始めた頃でした。
お相手は、静岡県浜松市出身の23歳、上智大学の理工学部に通う学生で、森山さんと同い年でした。彼の家は鉄工所を営む裕福な家庭で、幼少期から「甘やかされて育ったお坊ちゃま」という印象が強かったそうです。
2人の出会いは1969年に開かれた森山さんのコンサートで、ここから恋愛が始まり、2年間の交際を経て婚約に至りました。
1970年4月に結婚
婚約が発表されたのは1970年の4月、そして翌年1月にはハワイで結婚式を挙げるというロマンチックなスタートでした。
しかし、結婚生活が始まると理想と現実のギャップが徐々に浮き彫りになっていきます。
夫は家業を継ぐ予定のお坊ちゃまとして育てられていたこともあり、どこか子供っぽさが抜けず、加えて独占欲が強く、森山さんを束縛する傾向がありました。
特に、森山さんが音楽活動で忙しくしていると、彼の嫉妬や束縛が増していったといいます。
4年間の別居生活へ突入
そんな彼の態度に対し、自由な感性で音楽に向き合いたい森山さんは次第に疲れを感じるようになり、思い詰めた結果、彼女は実家に帰る決意をしました。
結婚した翌年には長女の奈歩さんが誕生しています。しかし、結婚生活は破綻の兆しを見せていたそうです。その後、夫婦は4年間の別居期間に入りましたが、その間も離婚話はなかなか進まず、揉めに揉めたと言われています。
夫としては、子供もいることから、できるだけ関係を修復したい気持ちがあったかもしれませんが、森山さんは自分の気持ちを曲げることはできませんでした。
1975年3月に離婚
そしてついに1975年3月、4年に及ぶ別居期間の末に正式に離婚が成立。森山良子さんは、束縛から解放され、自分の道を歩む決意を新たにしました。
この結婚生活は、短いながらも彼女にとっては試練と成長の機会となり、後の音楽活動にも影響を与える大きな経験だったようです。
森山良子の2人目の夫は、歌手のジェームス滝
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森山良子さんは、1975年9月、最初の結婚からの離婚が成立して半年後に再婚を果たしました。お相手は、歌手のジェームズ滝さん(本名:相楽直嗣さん)。
18歳でナイトクラブのジャズ歌手としてデビューしたジェームズ滝さんは、音楽シーンでの活動を重ねた後、「横田年昭とリオフラウテイスト」のボーカル「滝良二」としても知られていた人物です。
森山さんとの縁も深く、一時は彼女のマネージャーも務めていました。
森山直太朗の誕生
この結婚から1年後の1976年、2人の間に長男・森山直太朗さんが誕生。音楽の才能にあふれたご両親から受け継いだものか、彼もまた後に人気歌手としてその名を広めます。
ちなみに、直太朗さんの名前に使われている「直」の文字は、ジェームズ滝さんの本名「直嗣」から取られたとされています。
再婚当初は順調に思われた2人の関係ですが、生活を共にする中で価値観の違いが次第に表面化しました。芸術家としての気質や考え方の違いから、結婚生活は長くは続かず、やがて別々の道を歩むことを選びます。
とはいえ、ジェームズ滝さんと直太朗さんの父子関係は今も良好なようで、滝さんは息子の誕生日にライブを開くことも。
ステージで「今日は息子の誕生日なんです」と話すなど、親子の絆を大切にしています。
ジェームズ滝さんは2023年12月に肺がんで逝去されましたが、彼が築いた音楽と家族への思いは、今も森山さんや直太朗さんの活動に息づいているようです。
森山良子の華麗なる音楽家系図
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まず、森山さんのお父様・森山久さんはジャズトランペッター、そしてお母様・浅田陽子さんもジャズシンガーとして知られる音楽一家。
そんなお二人の影響を受け、森山良子さんは自然と音楽の世界へと進んだようです。
森山良子さんと1人目の夫との間に生まれた娘・奈歩さんは「Petty Booka」というユニットでウクレレの弾き語りをしていました。また、奈歩さんの夫がお笑いコンビ「おぎやはぎ」の小木博明さんというのも、芸能一家らしい系譜ですね。
2人目の夫であるジェームズ滝さん(本名:相楽直嗣)も音楽活動を行うミュージシャンであり、その彼との間に誕生したのが森山直太朗さんです。
さらに、直太朗さんの奥様はピアニストの平井真美子さんで、まさに音楽一家というべき家系図ですね。
親戚にも多才な顔ぶれが!
そして、母方の伯母にあたる恭子さんは、ジャズシンガーであるティーブ釜萢(かまやつ)さんの奥様。
彼らの息子が、60年代のグループサウンズ時代に「ザ・スパイダース」のメンバーとして活躍したミュージシャン・ムッシュかまやつさんです。
ムッシュはその後もソロ活動で「どうにかなるさ」「我が良き友よ」などの名曲を生み出し、音楽界で確固たる地位を築きました。
また、ムッシュかまやつさんの息子・TAROかまやつさんもまたミュージシャンとして活動しており、森山家の音楽のDNAが受け継がれているのがわかります。
森山良子さんと、従兄弟にあたるムッシュかまやつさんはとても仲が良く、若い頃から幾度もステージで共演するなど、お互いの活動を支え合ってきました。
ムッシュかまやつさんが晩年を迎えた頃には森山さん宅で療養しており、温かい家族の絆を感じさせます。
早世した兄・森山晋との絆
森山良子さんには、1歳年上の兄・森山晋さんがいました。
小学校から高校までずっと同じ学校に通い、いつもそばで彼女を支えてくれた頼もしい存在だったといいます。
しかし、1970年、そんな大切な兄が急性心不全で突然この世を去ってしまいました。当時22歳だった森山さんにとって、兄の死は受け入れるにはあまりにも辛い出来事でした。
「涙そうそう」に込められた、亡き兄への思い
そんな彼女に、沖縄出身の音楽グループ・BEGINが送ったデモテープが、後に名曲となる「涙そうそう」です。
兄を偲び、彼への想いを込めて森山さんは作詞を手がけました。23歳で早世した兄の姿が脳裏に浮かび、涙を流しながら綴ったその歌詞には、彼女が抱えた悲しみと別れの辛さが刻まれています。
この「涙そうそう」は、世代を超えて多くの人々に愛される楽曲となり、音楽の教科書にも掲載されるほどに。森山さん自身も「この歌を通じて、毎日泣き続けた自分と、少しずつさよならすることができた」と語っています。
兄への深い思いを込めた「涙そうそう」は、森山良子さんにとっても特別な曲であり、彼女の人生に寄り添い続けているのです。
森山良子の「獄中結婚」にまつわる誤解
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ネット上では、森山良子さんの結婚について「獄中結婚」だったという疑惑があるようですが・・・ご安心ください。森山さんの結婚歴の中で「獄中結婚」は一度もありません。
では、なぜそんな誤解が広がってしまったのでしょうか?
調べてみると、実は「獄中結婚」のエピソードがあるのは、森山さんではなく「おときさん」の愛称で親しまれている歌手の加藤登紀子さん。
若い頃、加藤さんは学生運動に関わっていた男性と恋に落ち、彼が実刑判決を受けて服役中に結婚した、という実話がありました。
このエピソードがどこかで森山良子さんの結婚歴に混同されてしまったようですね。
こうした誤解は、当の本人にとっても迷惑なものですが、ファンも驚かされてしまいますよね。森山さんの結婚歴はこのような話とは一切無関係です。
ここまで、森山良子さんの結婚や夫について解説してきました。
森山良子さんは、最初の結婚相手とは若い頃に出会い、恋愛の末に結ばれましたが、その後の生活のすれ違いから4年の別居期間を経て離婚。
次に再婚したのはミュージシャンのジェームス滝さんで、2人の息子として歌手・森山直太朗さんが生まれましたが、残念ながらこちらも価値観の違いから離婚という道を選ぶことに。
「獄中結婚」の噂が広がることもありましたが、これは誤報で、森山さんにそのような過去は一切ありません。彼女自身は、2度の結婚を通してたくさんのことを学び、人生の糧にしていると語っています。
現在、森山さんは結婚生活からは一歩距離を置き、夫はいませんが、親戚や家族に囲まれながら幸せに暮らしているようです。
数々の経験を通して深まった彼女の表現力が、これからも多くの人々に愛される音楽に繋がっていくことでしょう。
以上、森山良子さんの結婚生活、夫についてでした。