【今さら見せられない】浜田省吾が素顔を隠す理由と私生活について徹底調査してみた!

デビュー以来、その素顔を一切公開せず、常に謎めいた存在であり続ける歌手・浜田省吾さん。

彼はテレビメディアへの露出を避けてきましたが、いまだに多くの熱狂的なファンを持ち、そのカリスマ性は衰えることがありません。

この記事では、謎多き浜田省吾さんの経歴や私生活、そして素顔に迫りたいと思います。

長年サングラスをかけ続けている理由や、顔を公開しない理由についても、分かる範囲でお伝えします。

浜田省吾が今まで素顔を隠す理由はグラサンで目立つため?

浜田省吾さんの象徴であるサングラスは、デビュー以来ずっと彼のトレードマークとなっています。

素顔を隠す理由について様々な理由が語られていますが、主な理由は以下の3つです。

  1. バンドで目立ちたかったから
  2. 憧れのアーティストがサングラスを掛けていたから
  3. 今さら顔を見られたくないから

①バンドで目立ちたかったから

1つの目の理由は、吉田拓郎さんのバックバンド「AIDO」で活動していた頃、目立つためにサングラスをかけていたという説が有力です。

浜田省吾さんはバックバンドのドラマーとして活動していましたが、客席から遠くても目立つようにサングラスを掛けていたそうです。

また、吉田拓郎の大人びた姿に対して自分が幼く見えることを気にして顔を隠すようになったとも言われています。

②憧れのアーティストがサングラスを掛けていたから

2つ目の理由は、ボブ・ディランやジョン・レノン、スティービー・ワンダーといった憧れのアーティストたちがサングラスをかけてパフォーマンスしていたことです。

浜田省吾さんが影響を受けたアーティストがステージでサングラスをしていたため、自身もステージでサングラスを掛けるようになったという説があります。

③今さら顔を見られたくないから

3つ目の理由は、単純に今の顔を見られたくないからというもの。

デビューから半世紀近く経った今では、若い頃と今では素顔が変わっていることから、今さら素顔を公開したくないという思いがあるようです。

実際に、過去のインタビューではご本人が以下のように語っています。


画像出典:アメブロ

デビュー以来、素顔について様々なウワサが囁かれてきましたが、ご本人としては顔を覚えられたくないという理由が最も強いかもしれませんね。

学生時代の顔写真が公開されている


画像出典:X

しかし、浜田省吾さんは子供の頃の写真が公開されていたり、初期の頃には薄いサングラスで素顔がうっすら見えていたりしたこともあります。

そのため、デビュー当時のから「絶対に顔を隠したい」というこだわりがあったわけではないようです。

浜田省吾は週刊誌に素顔をキャッチされて激怒したことがある


画像出典:アメブロ

過去に、浜田省吾さんの素顔が週刊誌「フライデー」に隠し撮りされたことがありました。

この一件で浜田さんは激怒し、その怒りを込めて「I DON’T LIKE ‘FRIDAY’」という曲を書いたと言われています。

この曲の歌詞自体は友人とその彼女の恋愛模様を描いていますが、フライデーへの当てつけであることは明白でしょう。

浜田さんが怒った理由は、彼自身の顔が撮られただけでなく、当時の彼女(後に妻となる)が一緒に写っていたからと言われています。

真面目な性格の浜田さんは、奥さんを巻き込んでストレスを感じさせることを嫌っていたのかもしれません。

インターネットが普及した今では、浜田省吾さんの素顔を簡単に検索できますが、売れ始めた頃は「浜田省吾の素顔はどんな感じなの?」と興味を持つ人が多かったようです。

そして、当時の週刊誌には、奥さんと素顔でデートしている写真が掲載されました。

浜田省吾さんがサングラスをかけ続けるのは、単に顔を隠すためではなく、守りたいものがあるからでしょう。アーティストとしての「浜田省吾」という存在を守り、成功した後もプライベートは普通に送るための決断だったのかもしれません。

浜田省吾の素顔を隠すサングラス7選


画像出典:X

浜田省吾さんのトレードマークであるサングラスは、ファンにとっても興味深いトピックですね!彼はサングラスをかけたまま顔を洗うほど、そのアイテムが彼の一部となっていることで知られています。

さっそく、彼がデビュー当時から愛用していたサングラスを見てみましょう。

レイバン・アビエーター(Ray-Ban AVIATOR)


画像出典:アメブロ

1970年代、デビュー当時から使用していたというアメリカ製のレイバン・アビエーターは、浜田さんのサングラス姿をイメージ付けるものでした。

ウェイファーラー(WAYFARER)


画像出典:アメブロ

80年代中頃からは、アメリカのボシュロム社製のレイバン・ウェイファーラー(B&L5022)を愛用。

しかし、21世紀に入ってレイバンのブランドが売却され、イタリアのルクソティカ社製復刻版レイバン・ウェイファーラー(RB2140A 901)に切り替えたそうです。

ウェイファーラーⅡというタイプは、ボブ・ディランも愛用していたことから、浜田省吾も真似したのかもしれません。

ルーメン(LUMEN)とプラダ(Prada)が多い


画像出典:まとめてんだーZ

浜田さんは様々な種類のサングラスを愛用していますが、特にルーメンとプラダが多いようです。

現在は世界最大のサングラスメーカーであるイタリアのLUXOTTICA GROUPと協力して、オリジナルのサングラスを使用していると言われています。

ツアーグッズにもなっているON THE ROAD 2011の浜田省吾限定モデルサングラスは、ファンにとっては必見ですね。

実際に浜田さんがツアーでも使っているというモデルは、メルカリで購入するしかないようですが、3万円以上になっているそう。転売は避けたいところです・・・。

【画像あり】浜田省吾には一般人の妻がいる

プライベートについて、あまり多くを語らない浜田省吾さんですが、1978年、25歳のときに一般女性と結婚しています。お相手は年上の女性で、いわゆる姉さん女房ですね。

馴れ初め

二人が出会ったのは、浜田さんが20歳の頃、まだデビュー前のことでした。

出会いの場所は、浜田さんが通っていた神奈川大学の最寄り駅、東急東横線白楽駅から二駅先の菊名駅です。

当時、浜田さんは「愛奴」でドラムを叩いており、ある日駅で傘がなくて困っていた彼女に「良かったら、入りませんか?」と声をかけたのがきっかけだったそうです。

普段なら断っていた彼女も、その日は風邪で体調が悪く、早退していたそうで「じゃ、お願いします」と答えました。

彼女の家が、当時浜田さんがメンバーと住んでいたアパートのすぐ近くだったことから、次第に親しくなり、彼女は友達を連れてアパートに遊びに来るようになりました。そして、自然な流れで二人は交際へ発展しました。

浜田さん自身は、私生活について多くあまり語りませんが、一流アーティストにも人間味溢れる素敵なエピソードがあるのですね。

デビューアルバムに妻の姿が写っている


画像出典:アメブロ

浜田省吾さんの奥様は非常に美人として知られており、1976年に発売されたデビューアルバム「生まれたところを遠く離れて」の裏ジャケットに、当時交際中だった彼女と一緒に写っています。

デニムを履き、腕を組んで歩く女性が、現在の奥様です。写真は遠目で撮られているため、顔の細部はわかりにくいですが、美しいオーラが漂っていますね。裾広がりのデニムに、当時の時代を感じます。

また、ある週刊誌が浜田省吾さんの日常を報じた際にも、「美人妻」と一緒に写っていたことが強調されており、その美しさが広く認識されています。

浜田省吾さんの奥様は、その美貌が注目される一方で、彼との長年にわたる絆もまた、非常に深いものだと言えそうです。

この記事では、浜田省吾さんの素顔にまつわるエピソードを解説してきました。

もともとはバンド活動や影響を受けたアーティストからサングラスを掛け始めた浜田さんですが、今では彼の個性的なスタイルに欠かせない要素となっていますね。今後の活動からも目が話せなさそうです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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