『男はつらいよ』の寅さんで有名な俳優・渥美清さん。
1996年8月に亡くなられた後も、多くの人に親しまれている俳優ですが、プライベートでは妻・竹中正子さんと結婚した直後から別居していたようです。また、怒るとちゃぶ台をひっくり返す昔ながらの親父気質であったことが、長男の証言によって明かされています。
渥美清さんの妻との出会い、子供との関係について詳しく解説していきます。
是非、最後までご覧ください。
目次
渥美清の妻・竹中正子のプロフィール
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本名:竹中正子(たけなか まさこ)
生年月日:1946年
出身校:白百合学園中等部
職業:画家
渥美清さんの妻は一般人の竹中正子さん。渥美清さんの17歳年下です。
渥美清さんの生前は公の場に姿を現すことがなく、渥美清さんが亡くなった後にはじめて顔写真が公開されました。渥美清さんによる、家族には周りを気にすることなく伸び伸びと過ごしてほしいといった配慮だったようです。
敬虔なクリスチャンであり、夫である渥美清さんも自身が亡くなる直前に竹中正子さんと同じカトリックの洗礼を受けました。
画家として活動している
画像出典:Google画像検索
竹中正子さんは、60歳の頃から画家として活動をしており2024年現在79歳となっています。
大阪を拠点にウッドバーニングの作品を展示しているようです。
電熱ペンを使って木を焦がすことで絵や模様を描く技法。手軽なクラフトから、本物のような動物の毛並みを表現した繊細な作品まで作ることができる。
画家の活動をするにあたって、渥美清さんの名前を出さずに活動しているそうです。
渥美清と妻の馴れ初め
渥美清さんが妻・竹中正子さんと出会ったのは1960年頃と言われています。渥美清さんは当時32歳。俳優としてテレビドラマの主役も経験し、映画界でも活躍し始めていた時期でした。
妻が学生の頃から交際していた
一方、当時の竹中正子さんは白百合学園中等部の3年生で、14,5歳の女学生でした。
中学生と30過ぎの男が交際してということですから、現代の感覚だと考えられませんね!当時から見ても珍しいものだったのでしょうか・・・。
渥美清と妻の結婚式は出雲大社
おふたりは、約9年間の交際を経て1969年3月に結婚。
3月17日に出雲大社で結婚式を挙げ、3月22日にホテルニューオータニで結婚披露宴を行いました。
前年からドラマシリーズ『男はつらいよ』の放送もスタートし、俳優として売れに売れていた渥美清さんですが、結婚式は親族と友人数名だけでこじんまりと行ったそうです。
なお、おふたりが出雲大社で結婚する様子を芸能リポーター・鬼沢慶一によってすっぱ抜かれています。鬼沢慶一さんは渥美清さんから友人代表として結婚式に招待されたそうです。
渥美清さんと以前から面識があり仲良くしていたといい、今では考えられないほど、芸能人と芸能リポーターが友好的だったようです。
鬼沢慶一さんが結婚式に出席したことは、渥美清さんが亡くなるまで明かされることはなく、渥美清さんが亡くなった後に結婚式での記念写真が公開されました。
妻・竹中正子さんの姿も、この時の記念写真によって初めて公開されました。
渥美清と妻は結婚してすぐに別居していた!
渥美清さんは結婚した後も質素な生活を続けており、車も持っていなかったそう。自宅の他に「勉強部屋」として渋谷区・代官山に個人マンションを借りており、そこで1人で過ごすことが多かったそうです。
一流の俳優でありながら、豪邸に住んだり人目につくような暮らしをしなかった理由は主に2つ。
理由➀:プライベートを守るため
1つ目の理由は、渥美清さんが一般人である妻・竹中正子さんがマスコミに目をつけられないように質素な生活をしていたというもの。
家族には周りの目を気にせずプライベートの時間を過ごしてほしいと考えていたことから、あえて距離を置いて生活していたと言われています。
渥美清さんには2人のお子さんがいらっしゃいますが、渥美清さんが生前に子供について語ることはなく、亡くなった後にはじめて子供がいることが判明しました。
理由➁:映画『男はつらいよ』シリーズで人気俳優となり関係が変わった
2つ目の理由は、人気俳優となったことで竹中正子さんとの関係が変わったというもの。
おふたりが結婚する半年前から渥美清さんの代表作『男はつらいよ』シリーズが放送開始。瞬く間に一世を風靡し「寅さん」として不動の人気を得ます。
渥美清さんが「寅さん」として人気を得た後のギャラは、1作につき5000万円以上とも言われており、多額の資産を築いたことで竹中正子さんとの関係が何か変わってしまったのではないかと言われています。
渥美清と妻の子供は2人
渥美清さんと妻・竹中正子さんの間には2人の子供がいます。それぞれの職業や親子関係について見ていきましょう。
長男・田所健太郎
画像出典:時事通信
本名:田所健太郎
生年月日:1971年7月8日
出身校:立教大学経済学部
職業:ニッポン放送ナレーター、ディレクター
渥美清さんの長男はナレーター、ディレクターとして活躍する田所健太郎さん。
立教高校、立教大学経済学部を卒業し、1994年4月にニッポン放送へ入社。ラジオ番組の制作に携わるディレクターとして活躍します。
田所健太郎さんは、大手ラジオ局として知られるニッポン放送へ入社するにあたって親のコネは使わなかったそうです。
就職活動の際は履歴書の親族欄に「父 田所康雄 職業 俳優」と渥美清さんの本名を書いていたものの、誰一人として気づく人はいなかったといいます。
ニッポン放送の入社式は、新入社員の親も同席する慣習があるそうで、入社式に実の父親である「寅さん」が姿を現したことで会場は騒然。偉大な父親の力を借りずに入社し、入社式で正体が明かされるとは何ともドラマチックな展開ですね!
なお、田所健太郎の父親が渥美清さんであることは社外秘だったそうです。
1996年には、社内の同期でアナウンサーの山岡和美さんと結婚。
1999年にニッポン放送を退社し、フリーディレクターとしてアニメ関連の番組を担当されています。
渥美清の長男はDVを受けていた!
生前はプライベートが謎に包まれていた渥美清さん。2002年、七回忌のタイミングで長男・田所健太郎さんが渥美清さんからDVを受けていたことを告白しています。
食事の作法について厳しく、田所健太郎さんが何かを間違うとすぐに激怒して殴りかかってきたそうです。
田所健太郎さんが母親からチーズを勧められ、満腹だったので断ったところ渥美清さんが激怒して殴るなど、理不尽な目にも遭ったといいます。
また、妻の竹中正子さんへも暴力を振るうことがあったそうで、竹中正子さんは渥美清さんの機嫌を伺って敬語で会話をしていたそうです。
映画界のスター「寅さん」として活躍する渥美清さんですが、家で暴力を振るう様子を見ていた田所健太郎さんからすると、あまり良い父親ではなかったようです。
いかにも「昭和の頑固おやじ」といった父親ですが、現代であれば大問題でしょう。
長女・田所幸恵
渥美清さんの長女である田所幸恵さんは一般人であり、職業などの詳しい情報は明かされていません。
長男・田所健太郎さんが声優のラジオ番組を担当していることから長女が声優ではないかと言われることもありますが、確かな情報は見つかっていません。
娘がかわいくて仕方がなかった
渥美清さんが晩年に書き残した手記には、幼少期の田所幸恵さんが石畳で転んでケガをした出来事をふり返り、その情景を懐かしむ一説が残されています。
画像出典:週間女性PRIME
幸恵さんが転んだ姿を描いたイラストも添えられていたそうで、娘が可愛いくて仕方がない父親らしい一面が書き記されています。
プライベート確保のために渋谷の個人マンションで過ごしていた渥美清ですが、家族の中で娘の幸恵さんだけはマンションへ通って身の回りの世話をしていたそうです。
この記事では、渥美清さんの妻や子供について解説してきました。
- 渥美清の妻は17歳年下、妻が学生のころから交際していた
- 出雲大社での挙式、記者・鬼沢慶一が列席
- 渥美清は家族と別居しており、DV気質であった
最後までご覧いただき、ありがとうございました。