【100歳ご健在】丹阿弥谷津子・老後は子供2人と同居!女優引退後は語り手として活躍していた!

連続テレビ小説『ちゅらさん』『どんと晴れ』などで見せる、愛らしいおばあちゃん役が印象的な女優・丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さん。

女優業を引退した2024年現在もご存命で、100歳を迎えられました。そんな丹阿弥谷津子さんには1995年に他界した夫・金子信雄との間に2人のお子さんがいらっしゃるようで、同じ敷地内に3人で暮らしているようです。

丹阿弥谷津子さんの現在の様子、子供との暮らしぶりについて解説していきます。

丹阿弥谷津子の子供は2人


画像出典:X(旧Twitter)

丹阿弥谷津子さんには、1995年に亡くなられた夫・金子信雄さんとの間に2人の子供がいらっしゃいます。

  • 長男:一般人(出版社の社員?)
  • 長男:金子こうじろう(演出家)

長男は出版社の社員?


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丹阿弥谷津子の長男は一般人のようです。

1975年2月、朝日新聞に東京杉並区の自宅にて、ご家族で食卓を囲む様子が伝えられており、長男の姿を確認することができます。

詳しいプロフィールについては公開されていませんが、出版社の社員であるという情報が見られますね。

また、実際に会われた方によると、まじめそうな人物のようです。


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ただし、こちらで語られているお子さんの情報が長男についてのものか、後述する次男についての情報かハッキリとは断定できません。

次男は演出家の金子こうじろう


画像出典:アメブロ

丹阿弥谷津子さんの次男は演出家金子こうじろうさんです。

1995年から俳優・高崎政伸さんとともに朗読劇『リーディングセッション Heart Of Wilderness』を立ち上げ、定期的に活動されています。


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2013年9月に乃木坂COREDOシアターで開催された『ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ』という演目では、次男・金子こうじろうさんが演出、丹阿弥谷津子さんが朗読で親子共演されています。

丹阿弥谷津子の夫は俳優・金子信雄


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名前:金子信雄(かねこ のぶお)

生年月日:1923年3月27日(1995年1月20日、71歳没)

出身地:東京都台東区(旧:東京府東京市下谷区)

職業:俳優

丹阿弥谷津子さんの夫は1995年に他界された俳優・金子信雄さんです。

1943年に「文学座」の俳優としてデビューし、様々な映画やドラマで活躍。人間臭い悪役として人気を博します。1960年代には石原裕次郎さんや小林旭ら銀幕スターへ対抗する敵役として活躍されました。

1973年、映画『仁義なき戦い』で演じた山守義雄組長役で大ブレイク。同映画のシリーズ4作品に出演し、俳優として確固たる地位を確立します。

『仁義なき戦い』シリーズ4作品

『仁義なき戦い 広島死闘篇』
『仁義なき戦い 代理戦争』
『仁義なき戦い 頂上作戦』
『仁義なき戦い 完結篇』

1987年には料理番組『金子信雄の楽しい夕食』で自身の創作料理を作るなど、料理好きな一面も見せます。

アシスタント・東ちづるさんとの軽妙なやりとりが話題となり、任侠映画とは違った新たな路線で人気を獲得。1995年に他界される前まで番組を続けていました。

馴れ初め

おふたりは、1940年代より文学座の劇団員としてそれぞれ活動。黒澤明監督による1952年の映画『生きる』で初共演しています。

劇中で直接会うシーンはなかったようですが、この作品が交際のきっかけとなったようです。

同年、金子信雄さんは劇団主催者との演劇観の食い違いから文学座を退団しており、西村晃さんをはじめ飲み仲間であった俳優らとともに「青年俳優クラブ」を結成しています。

金子信雄さんが退団する1952年頃から5年の交際を経て、1957年11月にご結婚されます。

夫婦で劇団を結成

丹阿弥谷津子さんは1963年まで「文学座」に在籍し、1966年に夫・金子信雄さんとともに劇団「新演劇人クラブ・マールイ」を結成。

1985年頃までの間に『マリー・アントワネット』など8作品を公演します。

当時の団員には、のちに「劇団乾電池」座長として安藤サクラ、柄本時生らを輩出する柄本明さん、名俳優・松田優作さんが在籍していました。

【画像】丹阿弥谷津子の現在の様子


画像出典:YouTube

丹阿弥谷津子さんの現在の様子について、2016年4月に一葉桜祭りで朗読を行った際の一コマが公開されており、当時92歳の姿を確認することができます。

病気などされている様子もなく、お元気な様子が見られます。90歳を越えても活躍されている様子を見ると勇気をもらいますね!

女優として60年以上活躍されていましたから、舞台で台本やセリフを語ることは丹阿弥谷津子さんにとって自然なことなのでしょう。

最後のドラマ出演は2008年

女優として出演した最後のドラマは2008年放送の『NHKスペシャル・最後の戦犯』です。

同ドラマは「油山事件」という戦時中に実際に起こった事件をもとに製作されました。

油山事件

1945年8月10日、第2次世界大戦が終わる5日前に米軍機が墜落。旧日本軍が米軍捕虜の8名を斬首した事件。関与した者が後に軍事裁判にかけられ処罰された。

終戦後に、捕虜を虐待した罪に掛けられた日本兵が次々に裁判へかけられて行き、この様子を見た犯人は罪に問われることを恐れて逃亡。やがて、見つかって逮捕されますが、獄中でこの事件の様子を書き記します。

この事件の犯人である、兵士が書いた記録をもとにドラマ『最後の戦犯』が制作されました。

2008年に丹阿弥谷津子さんがドラマに出演されたときは、84歳とすでにご高齢。

丹阿弥谷津子が、最後のドラマ出演としてこのドラマに望んだのは、戦争経験者として後世に当時の様子を伝えたいという思いがあったのかもしれません。

女優を引退後は語り手として活動

女優業を引退した後は語り手として活躍されています。

2012年には、NHK文化センターにて朗読教室を開いていたようです。朝ドラに出演されていたご縁から、声が掛かったのかもしれません。

2013年9月、次男・かねここうじろうさん演出家として参加した作品『ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ』に語り手として参加し、親子共演

2016年4月には、一葉桜祭り「江戸吉原おいらん道中」にて、女優時代の恩師である久保田万太郎さんの作品『松葉屋の手紙』を朗読されています。

イベント参加者からは丹阿弥谷津子さんの朗読を絶賛する声が寄せられています。


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丹阿弥谷津子は現在、子供と同居している


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2004年のドラマ『桜さくまで』でのインタビューによると、丹阿弥谷津子さんは次男・金子こうじろうさんと2世帯住宅で同居しており、長男が同じ敷地へ引っ越してくると語っています。

夫・金子信雄さんが先に亡くなっているため、老後の丹阿弥谷津子さんを支えるために引っ越してきたのではないかと想像できますね。

2018年には、次男・金子こうじろうさんと自宅でインタビューを受けており、丹阿弥谷津子さんが穏やかな日々を過ごされていることが伝えられています。

インタビューの後は、玄関口までお見送りに来られたそうです。

100歳を迎えられた2024年現在も、息子さんとともに穏やかな老後生活を送られていることでしょう。

食事は次男・金子こうじろうが作っている

2011年6月の週刊現代『長寿の食卓』によると、丹阿弥谷津子さんの食事は次男・金子こうじろうさんが作っているそうです。

夫・金子信雄さんが食通として知られていますから、金子こうじろうさんも料理好きの血を受け継いでいるのかもしれませんね。

丹阿弥谷津子と子供についての世間の声

丹阿弥谷津子さんと金子信雄の共演を懐かしむ声が見られますね。

金子信雄さんを晩年のお料理番組で知った方は、かつて任侠映画のヤクザ役であったことに驚きの声が寄せられています。

出版業界で活躍する次男についても、関係者の間では知られているようです。


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この記事では、丹阿弥谷津子さんの家族について解説してきました。

2024年には、丹阿弥谷津子のおばあちゃん役が定着した連続テレビ小説『ちゅらさん』が再放送されています。もしかするとお子さんとともに、自身が女優として出演していた当時の様子をテレビで見ているかもしれません。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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