【超絶イケメン画像】千葉真一の若い頃がカッコよすぎ!昭和の名俳優を時代別にふり返ります。

千葉真一の若い頃について

俳優として多くの名演を残してきた千葉真一さん。

2021年に惜しまれつつこの世を去りましたが、現在もそのイケメンぶりが話題となっています。

お子さんで俳優として活躍中の新田真剣佑さんが千葉真一の若い頃とソックリという声が多く、当時の姿が世代を越えて注目されています。

若い頃の千葉真一さんを、当時の画像とともにふり返ります。

【画像】千葉真一の若い頃~現在を時代別まとめ

昭和の東映映画から、NHK大河ドラマまで多くの作品で活躍された千葉真一さん。学生時代は俳優志望ではなく、体操選手を目指していました。

デビュー前:体操選手をケガで断念


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キレのあるアクションが持ち味の千葉真一さんは、学生時代に器械体操をされていました。

千葉真一の学歴

・千葉県君津市立君津中学校
・千葉県木更津第一高校
・日本体育大学

中学時代に見たオリンピックに感動して「俺もオリンピックに出たい」と思ったことが体操をはじめたきっかけだそうです。


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体操に限らずもともと運動神経が良く、学生時代にはバレー部や野球部の助っ人として大会に出場することも。一方、アメリカ映画が好きでよく見ていたといいます。

大学はスポーツの名門校「日本体育大学」に進学。アルバイトで学費を稼ぎながらオリンピック選手を目指していましたが、あん馬の着地に失敗して腰とヒザを損傷してしまいます。


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怪我をした状態で練習を続けたことで症状が悪化。座骨神経痛となり、医師から「1ヶ月間の運動禁止」を告げられます。

大会を控えた時期の故障であったこと、怪我によりアルバイトができず学費を工面できなくなったことから、体操選手の道を諦めることになります。

千葉真一の同期には、1964年東京オリンピック金メダリストの山下治広さんがいますが、種目によっては千葉さんのほうが上だったとも言われていました。

怪我がなければ、体操選手として名を残していたかもしれません。

20代:モデル⇒俳優デビュー


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千葉真一・20代の活動歴

1960年・20歳 ドラマ『新 七色仮面』主演デビュー

1961年・21歳 映画「警視庁物語 不在証明」映画デビュー作

1961年・21歳 映画「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」

1966年・27歳 日米合作映画「海底大戦争」主演

1968年・29歳 ドラマ「キイハンター」

怪我により大学を中退し、体操選手の道を諦めざるを得なくなった千葉真一さん。学費の半分は親が出してくれていたことから、恩返しをしたいという思いがあったそうです。

ある日、大学時代の友人と銭湯に行ったところ、スポーツウェアの広告モデルの募集を目にします。

募集内容は、入賞1位で5万円、2位は3万円の賞金が出るというもの。友人7、8人で応募したところ、千葉真一さんだけが2位に入賞して3万円を受け取ることができたといいます。


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体操選手の道を諦め、将来について考える中で千葉真一は「東映ニューフェイス募集!」といったポスターを見かけます。

地元の友人が後押しもあり、千葉真一は東映の新人オーディションを受験したところ、器械体操をしていた経歴が注目され、2万6千人の中からトップで審査に通過。

劇団俳優座で半年の下積みを経験した後、1960年に映画「新 七色仮面」で主演デビューを果たします。当時20歳で、様々な衣装や仮面を身に着けて役柄を演じました。


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1961年、深作欣二の監督デビュー作でもある「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で映画デビュー。初監督とともに作り上げた映画が人気となり、続編「風来坊探偵 岬を渡る黒い風」も千葉真一が主演で制作されました。


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1968年に初放送されたドラマ「キイハンター」は、千葉真一さんの器械体操によって培われたスピード感あふれるアクションが話題に。1973年まで続いた同ドラマによって、千葉真一は国民的アクション俳優として人気を博します。


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30代:や〇ざ役で人気に


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千葉真一・30代の活動歴

1970年・31歳 JAC(ジャパンアクションクラブ)を設立

1973年・34歳 映画「仁義なき闘い 広島死闘篇」主演

1973年・34歳 映画「ボディーガード牙」シリーズ 主演

1975年・36歳 映画「少林寺拳法」

1978年・39歳 映画「柳生一族の陰謀」主演、日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞

1973年、映画「任ぎ亡き闘い 広島死闘篇」では愚連隊のリーダー・大友勝利を演じ、これまでの明るいキャラクターでは見せることのなかった泥臭いヤ〇ザ役が人気となります。

先輩俳優・北大路欣也さんが主役を降りたことで回ってきた役で、千葉真一さん自身も役を引き受けるか悩んだそうです。

しかし、監督が自分の演技に何か期待していることを感じて主役を引き受けたところ、たちまち人気キャラクターとなり、ヤ〇ザ役のひな形となりました。

同年に公開された映画「ボディーガード牙」シリーズは、国内にとどまらず世界的にヒット。千葉真一さんは、Sonny Chiba(サニー ちば)の名前で海外でも知られるようになります。


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40代:ミュージカル、テレビドラマなど多方面で活躍


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千葉真一・40代の活動歴

1979年・40歳 映画「戦国自衛隊」日本初のアクション監督を務め、自身も主役として出演

1981年・41歳 映画「魔界転生」主演

1982年・43歳 ミュージカル「ゆかいな海賊大冒険」主演

1986年・47歳 テレビドラマ「深夜にようこそ」

映画俳優として不動の地位を築いた千葉真一さん。40代は時代劇への進出し、自身が率いる「JAC」のミュージカル公演を企画し、活動の場を広げていきます。

また、テレビドラマ「深夜にようこそ」では、店内の様々な出来事に遭遇するコンビニバイトを演じ、スター路線とは違った人情味あふれる演技もされています。


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50代:海外進出


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千葉真一・50代の活動歴

1989年・50歳 映画「せんせい」で映画初プロデュース

1989年・50歳 映画「丹波哲郎の大霊界死んだらどうなる」特別出演

1991年・52歳 JACを売却

1992年・53歳 アメリカ映画「エイセス/大空の誓い」

1998年・59歳 香港映画「風雲 ストームライダーズ」

1970年代より、アメリカの映画界でも注目されていた千葉真一さん。

東映が千葉真一さんを重宝していたことから国内を中心に活動していましたが、1992年の映画「エイセス/大空の誓い」での活動をきっかけにロサンゼルスへ拠点を移します。アメリカでの俳優活動のため永住権も取得しました。

1998年の香港映画「風雲 ストームライダーズ」ではラスボス・雄覇(ホンパ)を演じます。原作マンガの世界観を、香港映画が得意とするワイヤーアクションで再現して大きな話題となり、2001年には台湾でもドラマ化して放送されました。


画像出典:主映想館

60代:映画「キル・ビル」で助演男優賞ノミネート


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千葉真一・60代の活動歴

2003年・64歳 アメリカ映画「キル・ビル」

2005年・66歳 ハワイ国際映画祭にて「MAVERICKAWARD」受賞

2007年・68歳 NHK大河ドラマ「風鈴火山」

2007年・68歳 英国放送協会(BBC)ドキュメンタリー「Japanorama」出演

2003年、クエンティン・タランティーノ監督によるアメリカ映画「キル・ビル」では、ルーシー・リュー、ユマ・サーマンらハリウッド俳優に剣術を指導し、自身も出演しました。

千葉真一さんは、同作品で第30回サターン賞の助演男優賞を受賞。海外においてその活躍を高く評価されました。

2007年からは海外での通称「JJ. Sonny Chiba」の名前を日本でも使用するようになります。

千葉真一の若い頃はファンサービスもカッコよかった


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千葉真一さんは、民家の近くで撮影をする際に「迷惑かけるから」と、近所の方にサンドイッチの詰め合わせなどを配っていたそうです。

当時は貧しい家庭も多かったことから、周りの家はみんな喜んでいたといいます。

こういった撮影時の配慮は周りのスタッフが行う場合もあると思いますが、千葉真一さんが手渡しで配っていたそうです。実際に会った方からは、ファンサービスが良いことでも知られていたようです。

千葉真一の恋愛と結婚

千葉真一さんのプライベートについても見てきましょう。千葉真一さんは過去に2回結婚されており、3人のお子さんがいらっしゃいます。

一人目の嫁は野際陽子


画像出典:Newsポストセブン

1973年に1人目の嫁である野沢陽子さんと結婚。出会いのきっかけはテレビドラマ「キイハンター」での共演でした。

ドラマ撮影で同じ時間を過ごす中、野際陽子さんが千葉真一さんのことを本気で好きになりアプローチ。千葉真一さん曰く「ガンガン来た」そうです!


引用元:デイリー新潮

21年間の結婚生活は円満で、夫婦喧嘩をしたこともなかったといいます。

しかし、千葉真一さんが活動拠点を海外に移したことをきっかけに、1994年に離婚します。

野際陽子さんから離婚を切り出された千葉真一さんは、ためらったそうです。

離婚会見で、千葉真一さんは「私が映画バカで夢を追いすぎて家庭を顧みなかった」と語り、悲しげな表情を浮かべていたといいます。

険悪なムードの離婚ではなく、野際陽子さんが千葉真一さんに世界で活躍してもらいたいと思っていたいことから離婚を切り出したと言われています。慰謝料の請求も一切なく、お互いの活動を自由にするための円満離婚だったようですね。

子供は真瀬樹里


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おふたりの間には、女優として活躍中の娘・真瀬樹里さんがいます。

火曜サスペンスや土曜ワイド劇場など、主にサスペンスもので活躍している女優さんで、大河ドラマ「風林火山」では父親の千葉真一さんと共演しています。

2017年放送のドラマ「トットちゃん!」では、実の母である野際陽子役として出演して話題となりました。

二人目の嫁は前田玉美


画像出典:スポニチ

1996年、千葉真一さんは2人目の嫁である前田玉美さんと結婚。当時、千葉真一さんが57歳、玉美さんは29歳であり、年齢差28歳の年の差婚です。

当時、前田玉美さんは「きみすず」という芸者名で活躍する京都トップクラスの舞妓さんだったそう。舞妓をする前田玉美さんに千葉真一さんが惚れ込んだと言われています。

一般人女性と結婚と言われていましたが、ただの一般人ではありません…。

その後、千葉真一さんとともにロサンゼルスで結婚生活を送っていましたが、2015年11月に離婚。

2015年4月に千葉真一と女子大生のデート姿が報じられており、不倫が原因で離婚に至ったのではないかと言われています。

また、千葉真一さんは2008年に開校した俳優養成学校の経営が上手く行かず、5億円ほどの借金を背負うことになったそうで、こちらも離婚の原因ではないか言われているようです。

子供は新田真剣佑と眞栄田郷敦


画像出典:スポニチ

千葉真一と前田玉美さんの間には2人の子供が生まれました。長男は新田真剣祐(あらた まっけんゆう)さん、次男は眞栄田郷敦(まえだ ごうどん)さんで、それぞれ俳優として活躍されています。

2024年現在、新田真剣佑さんは27歳、眞栄田郷敦は24歳の若手イケメン俳優として活躍しており、親を越えそうな2世俳優として視聴者から注目されています。


画像出典:Yahoo!ニュース

また、前妻の娘である真瀬樹里さんとも交流があり3人のお子さんは仲が良いようです。


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千葉真一と息子の顔がソックリ!

新田真剣佑さんのファンを中心に、千葉真一さんの若い頃と顔がソックリと話題となっています。

ネット上の声とともに、画像で比較していきましょう。


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こちらは目の形、表情がそっくりですね!

晩年の千葉真一さんとは一見似てないようにも見えますが、20代の画像で比較すると親子で瓜二つです。お二人ともイケメンすぎます・・・。


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親世代にとっては、新田真剣佑さんの顔が若かりし頃の千葉真一さんを思い起こさせますね。

ネット上では「新田真剣佑さんがそっくり!」といった声が多く見られますが、写真によっては「弟・眞栄田郷敦さんのほうが似ている?」と感じる画像も見られます。


画像出典:X

パッと見て、眉毛の形が似てるな~と思いましたが、いかがでしょうか?

 

この記事では、千葉真一さんの若い頃をふり返ってきました。

息子さんが俳優として活躍していることから、千葉真一さんが再び注目を浴びているようです。

千葉真一さんが歳を追うごとに大人の渋さを増していったことから、息子さんの今後の変化にも注目したいところですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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