亀井エイ子は2024年現在もご健在!ブギの女王・笠置シヅ子を語り継ぐ娘の人生を紐解きます。

戦後、「東京ブギウギ」などのヒット曲で一世を風靡した笠置シヅ子さん。NHKの連続ドラマ「ブギウギ」では、彼女をモデルにしたキャラクター・花田鈴子が趣里さんの演技で蘇り、多くの視聴者を魅了しましたね。

笠置シヅ子さん自身は生涯独身を貫きましたが、娘として亀井エイ子さんがいらっしゃいます。

明るくポジティブな音楽で日本中を元気づけた笠置シヅ子さんですが、その人生には幾多の困難もあり、波乱万丈だったといえるでしょう。

そんなシヅ子さんの生き方に深い影響を受けた一人娘の亀井エイ子さんが、どのような歩みを続けているのか、彼女の現在に迫ります。

今回は、亀井エイ子さんの現在の生活や、彼女がかつて受けた◯害予告の背景について特集します。

笠岡シズ子の娘・亀井エイ子の現在の様子


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笠岡シズ子さんの娘である亀井エイ子さんは、2021年にテレビへ出演され、その元気な姿が話題になりました。76歳とは思えないほどお元気な姿が印象的です。

2021年のメディア出演以降、エイ子さんについての詳しい情報は公開されていませんが、母親である笠置シヅ子さんが朝ドラ「ブギウギ」で再び注目を浴びたことで、今後インタビューやメディアに登場する機会があるのではないかと予想されています。

また、2023年には宝島社から発売された「笠置シズ子その言葉と人生」の監修を務められ、母親の人生や言葉を伝える活動にも関わっています。

本の出版に携わっている


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亀井エイコさんは、母・笠置シヅ子さんに関する本の監修を務め、取材に応じて笠置さんの人柄やエピソードを語っています。

執筆自体は他の方が担当していますが、エイコさんの監修によって母親の生涯がより深く伝わる内容になっているようです。

亀井エイコさんが監修した書籍には「笠置シヅ子 その言葉と人生」「笠置シヅ子の生涯 ブギなメロディCD付き (TJMOOK)」があり、どちらも2023年に発売されてから人気を集めています。今後も関連書籍の出版が期待されます。

トークイベントへの出演


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2023年10月29日、東かがわ市制20周年を記念して開催された「ブギウギふるさとトークイベント」に、特別ゲストとして亀井エイ子さんが出演されました。

このイベントには、ドラマで笠置シズ子さんの父親役を演じる柳葉敏郎さんも登場しました。

ドラマ「ブギウギ」の放送をきっかけに、エイ子さんのメディア出演の機会が増えているようです。

亀井エイ子の家系図と家族構成について


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亀井エイ子さんは、笠置シヅ子の娘であるほか、父親の家系は吉本興業の創成に関わる人物であり、両親とも日本の芸能界とって重要な人物でした。

父は吉本興業創設者の家系

亀井エイ子さんの父・吉本穎右(よしもと えいすけ)さんは戦後まもなく早稲田大学を中退し、吉本興業に入社。叔母の吉本せいさん(林せい)の弟で東京支配人の林弘高さんのもとで働き始めました。

その頃、ジャズ歌手の笠置シズ子さん(本名:亀井静子)が穎右さんの子どもを妊娠し、2人は結婚を控えていました。しかし、穎右さんの結核が悪化し、甲子園にある吉本邸へ戻ることに。そこで彼は若くして亡くなりました。

母・シズ子の意向で、吉本家には嫁いでいない

穎右(えいすけ)さんの死後、シズ子さんが亀井エイ子さんを出産。叔母の吉本せいさんは当初、結婚に反対していましたが、シズ子さんの妊娠がわかると態度を和らげ、孫となるエイ子さんを引き取りたいと申し出ました。

しかし、シズ子さんは自分が幼い頃に養子に出され、親と離れて育った経験があるため、娘にも同じ思いをさせたくないと考え、せいさんの申し出を断りました。

このため、シズ子さんとエイ子さんは吉本家の戸籍に入らず、穎右さんの血筋はエイ子さんへと引き継がれましたが、戸籍上の系譜は途絶えています。その後、シズ子さんは幼いエイ子さんを育てながら歌手として活動を再開し、「ブギの女王」としてスターの座に上り詰めました。

一方、吉本家の跡取りであった穎右さんが亡くなったことで、吉本せいさんの死後は三女の吉本峰子さん(吉本恵津子)が吉本興業を引き継ぎ、2017年現在も創業家である吉本家としての歴史が続いています。

亀井エイ子は現在も結婚しておらず、独身である

亀井エイ子さんに関する結婚の情報は確認できていません。エイ子さんは一般人として生活しているため、結婚についてのはっきりとした情報が見つからない状況です。

直接の情報はありませんが、母親の笠置シズ子さんがエイ子さんをとても大切にしていたエピソードが伝わっており、「誕生日にはガーデンパーティーを開いたり、一緒に舞台に立ったりした」という話もあります。

もしエイ子さんが結婚していたら、母親はきっと盛大な結婚式を企画していたことでしょう。

しかし、そういった記録がないことや、現在も「亀井」という苗字を使用していることから、エイ子さんが独身である可能性が高いと考えられます。

亀井エイ子に子供はいない

亀井エイ子さんにお子さんがいるかどうかについても情報は確認できていません。

ブギウギの女王として名を馳せた「笠置シズ子の孫」ともなれば、何かしらの話題となることが予想されますが、そのような報道は見つかっていません。

亀井エイ子さんにとっても、子どもがいるかどうかは個人の生活に大きな影響を与えるため、もしお子さんがいれば、エイ子さんの暮らしぶりにも変化が見られるでしょう。

しかし、そのような情報が確認されていないことから、エイ子さんにはお子さんがいない可能性が高いと考えられます。

笠置シヅ子と吉本えいすけの馴れ初め

笠置シヅ子さんが吉本穎右(よしもと えいすけ)さんと初めて出会ったのは、シヅ子さんが30歳、既にジャズ歌手として名を馳せていた1943年(昭和18年)のこと。

名古屋の御園座での公演中、穎右さんが俳優の辰巳柳太郎さんの楽屋を訪ねた際に、偶然シヅ子さんと顔を合わせました。

穎右さんは恥ずかしがり屋で、最初はなかなか声をかけられずにいたようです。

それでも二人はその後、顔を合わせる機会が増え、親交が深まっていきました。実は、穎右さんはシヅ子さんのファンでもありました。

ある日、シヅ子さんが「一緒に帰りましょう」と穎右さんを誘うと、彼は既に駅で待っており、彼女の切符まで用意していたそうです。

重い荷物を運んでくれた穎右さんとの帰り道、二人はたくさんの話をして距離を縮めました。

身分の違いを超え、恋愛関係へ

当初、シヅ子さんは弟のような存在として穎右さんと接していましたが、身分の違いもあってその距離を意識していたのかもしれません。

しかし、出会いから約1年半後、二人の関係は恋愛へと進展していきました。

1945年(昭和20年)、東京大空襲により二人はそれぞれ住む場所を失い、短期間ではありますが一緒に暮らすことに。

穎右さんはその間、シヅ子さんのマネージャーのように支え、二人は充実した日々を過ごしました。後にシヅ子さんはこの期間を「わが生涯 最良の日々」と語っています。

吉本えいすけは、娘・亀井エイ子を認知することなく他界

ところが、結婚を目前に控えた1947年(昭和22年)、過労がたたり、風邪をひいた穎右さんの体調が急激に悪化。そのまま命を落としてしまいました。

身重だったシヅ子さんにとっては信じがたい悲報でした。二人は入籍することなく、穎右さんは亡くなってしまったのです。

その後もシヅ子さんは穎右さんとの思い出を胸に、彼からもらった名刺をずっと肌身離さず持ち続けたといいます。

亀井エイ子は過去に誘拐事件に巻きこまれていた!


画像出典:PRESENT Online

笠置シヅ子さんは、歌手として活躍しながらシングルマザーとして多忙な日々を送っており、当時から多くの取材を受けていたそうです。

現代で言えば「ママタレント」のような立ち位置でもあったのでしょう。

その注目度の高さが影響してか、娘のエイ子さんが誘拐事件に巻き込まれるという出来事も起きてしまいました…。

お金を要求する脅迫状が届く

笠置シヅ子さんは、シングルマザーとして同じ境遇の人たちに勇気を与えたいという思いから、自宅での取材にも積極的に応じていました。

しかし、1954年3月31日、東京都世田谷区の彼女の自宅に、「天神橋下に6万円を置かなければ娘を◯害する」という恐ろしい脅迫状が届きます。

当時、小学校の先生の月収が約7800円だったことを考えると、6万円という金額はかなりの高額です。

犯人はその後、自由が丘駅の公衆電話から指示を出しましたが、金銭の受け渡しの際に警察が介入し、無事に逮捕。事件は解決へと導かれました。

30歳の男が逮捕される

犯人は無職の横田武夫(30)という男性でした。

怪しい男が包みを受け取った瞬間、立ち去ろうとしたところで、待ち構えていた警察官たちが一斉に飛び出し、現行犯で逮捕しました。

犯人の男は「事業の失敗で借金を抱え、つい脅迫してしまった」と供述したそうです。

脅迫状が届き、電話がかかってきてからというもの、笠置シヅ子さんは愛娘エイ子さんと共に自宅に閉じこもって過ごしていたと言われており、相当な恐怖を感じていたことでしょう。

このような経験を通して、シヅ子さんは「絶対に娘を芸能人にしたくない」という強い思いを抱くようになったと伝えられています。

亀井エイ子のプロフィール

笠置シヅ子さんは、戦後の「東京ブギウギ」などで明るい歌声を届けた一方で、彼女のそばには、愛娘・亀井エイ子さんの存在がありました。その生い立ちをまとめてご紹介いたします。

生い立ち

亀井エイ子さんが誕生するまでのエピソードは、まさに波乱万丈の連続でした。笠置さんの夫だった吉本穎右(よしもと えいすけ)さんが重病に倒れたと知ったのは、彼女が出産間近の頃でした。

出産予定日を過ぎたため入院することを決めた矢先、穎右さんは奔馬性急性肺炎でこの世を去り、訃報が届いたのはその翌日でした。

悲しみを抱えながらも、シヅ子さんは娘を産む決意を固めたといいます。

生まれてくる子に「エイ子」(息子なら「静雄」)と名付けることは、生前に夫の穎右さんが決めていた名前でした。

彼はまた、未来の子どものために少しずつ貯金をしており、それは新しい命が強く生きてほしいという願いの象徴でもあったのでしょう。

その後、シヅ子さんはエイ子さんを一人で育てながら、芸能界で活躍を続けていきました。

娘のエイ子さんは芸能界の道には進まず、一般人としての生活を選びました。現在76歳となる彼女の暮らしぶりに、多くの人が関心を寄せています。

笠置シヅ子さんの波乱に満ちた生涯は、エイ子さんの人生と共に、今も多くの人々に親しまれ、語り継がれています。

亀井エイ子についての世間の声

実の母、笠岡シズ子さんを描いた朝ドラ『ブギウギ』の放送時には「どんな思いでドラマを見ているのだろう」といった声が多く見られました。


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ここまで、「ブギの女王」として多くの人々に愛された笠置シヅ子さんの娘、亀井エイ子さんについて詳しく解説してきました。

母親の笠置シヅ子さんの願いもあり、芸能界には進まなかったエイ子さんですが、「母の思いを多くの方に知ってほしい」という情熱を抱き、イベントや書籍の監修などを通じてその願いを形にしているのかもしれません。

これからも元気で、いつまでもその素敵な笑顔を見せていただきたいですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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